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7305ひみつにされた登戸研究所ってどんなとこ?

「ひみつにされた登戸研究所ってどんなとこ?」

登戸研究所保存の会:編、姫田光義:監修
なかのよしこ, 稲田善樹:画
B5判  48ページ 本体800円+税
ISBN 978-4-86261-104-8
発行:2014年05月24日
対象:小学校高学年~
★ご注文について

h7305登戸研究所

内容

◆◆児童向けノンフィクション◆◆

戦争中、登戸にはひみつの研究所があった!

1937年、日本は中国と本格的な戦争に入り、その年に現在の多摩・登戸地域に陸軍の秘密施設「登戸研究所」をつくりました。そこでは多くの人たちが働いていましたが、研究所の中ではいったいどんなことがされているのか、周囲にはすべてが秘密にされていました。1945年8月に戦争が終わり、この施設は歴史から消されます。そこで働いていた人々も口を閉ざし、話すことのできない秘密をじっと、胸にかかえこんでいました。

 それから40年以上も過ぎた頃、近隣の高校生たちの「地域を知る、調べ学習」がきっかけで、昔、自分たちの暮らす地域に秘密の施設があったことを知ります。高校生たちは壁にぶつかりながらも熱心な調査を行い、秘密施設・登戸研究所で働いていた人々と出会い、その重い口を開いてもらうことができました。さまざまな証言や資料提供をうけ、未来に平和を伝える資料としての戦争遺跡「登戸研究所」を保存しようという市民運動に発展します。そして2010年、研究所の跡地が残る明治大学の協力で、「明治大学平和教育登戸研究所資料館」として保存されることになったのです。

 長い間、その存在ごと封印されていた「登戸研究所」では、いったい何をしていたのか、どのような研究がされていたのか―。
残された資料、働いていた人たちの証言をもとに、子どもにもわかりやすいイラストで戦争遺跡「登戸研究所」の歴史をたどります。

目次

はじめに

1登戸研究所を知っていますか? 
  戦争中、登戸にはひみつの研究所があった!
  いまの多摩・登戸(絵地図)              
  1930年代の多摩・登戸(絵地図)        
  そのころ子どもだった人に聞いてみよう       
  だんだん変わっていく学校              
  街が戦争で変わっていく            
  登戸研究所がやってきた

2登戸研究所ってどんなとこ?             
  研究所ではどんなことをしていたの? 
  なぜひみつにされたの?  
  たくさんの人が働きにいった       
  女学生も風船爆弾つくったんだって
  登戸研究所専用住宅               
  多摩区の空襲(絵地図)
  空襲をまぬがれた登戸研究所                      
  消された登戸研究所 

3登戸研究所の“いま”                         
  いまも残る登戸研究所遺跡を歩いてみよう      
  明治大学平和教育登戸研究所資料館に入ってみよう 
  登戸研究所関係年表
    

著者プロフィール

■監修:姫田光義
中央大学名誉教授
登戸研究所保存の会代表世話人

■装挿画:なかの よしこ
博報堂にデザイナーとして勤務後、フリーイラストライターとして活躍。
2006年~「イラストと手づくり絵本」教室主宰。
2009年ボロ-二ア国際絵本原画展入賞。
Society of Illustrators NY 会員

■装挿画:稲田善樹(イナダ ヨシキ)

1933年、中国・旧満州生まれ。サラリーマン生活を送った後、モンゴル、グワァテマラなどを旅する。絵本に、ジャンビーン・ダシドントク作『みどりの馬』、大竹桂子作『おじいちゃんの山』、宇留賀佳代子作『ピンク色の雲』等多数。

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